「浜省」という愛称で呼ばれる浜田省吾。
曲は?と言われるとあんまり思い浮かばない方も多いかな?と思いますが、私は浜田省吾が大好きです。
1952年12月29日広島県竹原市に生まれた浜田省吾。
私は1980年生まれなので私の親の世代ということになります。
16歳の頃に付き合った人が浜田省吾が好きで、私もその影響でCDを買って聞くようになりました。
大学生の頃に名古屋のレインボーホール(現在は日本ガイシホール)で行われたコンサート。
ON THE ROAD 2001 “THE SHOGO MUST GO ON”
当時、インターネットで知り合った人から「チケットを取ったけれど行けなくなったので良かったら譲るよ」と声を掛けて頂き、そのお蔭で参加することができた人生最初のコンサートでした。
2001年9月29日土曜日。
私はそれまで誰のコンサートへも行ったことが無かったのでコンサート全てが初体験!
開場までのグッズ販売にも圧倒。
いよいよアリーナ席へ入り、会場の雰囲気にも圧倒されていました。
アリーナ席で初めて見た浜省はとっても格好良かった°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
PA(Public Address)の近くだったので、機材も見ることができて喜んでいたことを思い出します。
全29曲にも及ぶコンサート。
途中で電車の終電を気にして帰る人もいたほどの長時間のライブ。
その時のアンコールでも演奏された『悲しみは雪のように』。
浜省ファンでなくても多くの人が知っている曲だと思います。
1981年『愛の世代の前に』というアルバムに収録され、1992年『愛という名のもとに』の主題歌として採用された楽曲です。
チャート初登場から2週連続1位を記録し、3週目でとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」に1位の座を奪われたが、4週目で1位に返り咲き、そこから8週連続1位をキープ。通算10週に渡って1位を獲得し、累計売上170.3万枚(オリコン調べ)の大ヒットとなった。シングル売上歴代第47位(2010年時点・オリコン調べ)。また、通算10週の1位獲得は歴代9位の記録である。(CDシングルでは歴代2位)。
(Wikipediaより抜粋)
この曲は、浜田省吾の母親が脳閉塞に倒れ意識不明の重体になった時の出来事を基に作られたそうです。
母親を見舞った後「もしかしたらもうダメかもしれない…。」と深い悲しみと絶望に暮れながら、ツアーに戻るために帰りの特急電車に乗り込んだ彼が見たのは天真爛漫な笑顔が愛くるしい車内販売の売り子さん。
その人を見て「あぁ、こんなにニコニコと悩みなんかなさそうな明るいこの子にも、実は人に言えない深い悲しみを背負いながら生きているのかもしれないなぁ…。」と思ったことがこの『悲しみは雪のように』を作るキッカケになったのだそうです。(お母様は半身不随にはなられましたが命は助かり、コンサートも見にいらしています)
映像はON THE ROAD 2011なので2001ではありません(ノ´∀`*)
詩は詩人・吉野弘さんの『雪の日に』がモチーフであると本人がコンサートの中で言っているそうです。
キッカケはお母様で詩のモチーフは以下に紹介する『雪の日に』。
そんな素敵な曲だから時代が移り変わっていっても、ずっと愛される曲なんだなぁ~と思います。
雪の日に/吉野弘
雪がはげしくふりつづける
雪の白さをこらえながら
欺きやすい雪の白さ
誰もが信じる雪の白さ
信じられている雪はせつない
どこに純白な心などあろう
どこに汚れぬ雪などあろう
雪がはげしくふりつづける
うわべの白さで輝きながら
うわべの白さをこらえながら
雪は汚れぬものとして
いつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その悲しみをどうふらそう
雪はひとたびふりはじめると
あとからあとからふりつづく
雪の汚れをかくすため
純白を花びらのようにかさねていって
あとからあとからかさねていって
雪の汚れをかくすのだ
雪がはげしくふりつづける
雪はおのれをどうしたら
欺かないで生きられるだろう
それがもはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪ははげしくふりつづける
雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
音もなくかさなっていく
かさねられていく
かさなってゆくかさねられてゆく