昼食も無事済ませて再び網走監獄へ。
14:40頃到着でしたが、駐車場は午前中にも増して混んでいて奥の方にしか停めることはできませんでした。
チケットを買う列はまだありましたが、それでも午前中の半分以下。
大人しく並んでチケットを購入。
子供達は無料で、母は60歳以上の証明書を出したら安くなり、全部で2700円で済みました
後に知ったのですが、インターネット割引券があってH.P.から印刷するかスマホ画面を提示すると10%オフになったみたいです(‘◇’)ゞ
私は網走監獄は今回が3回目、母は2回目ですが、以前行った時よりも少し内容が変わっていました。
映像を見て当時を知るという、いわゆる今流行りの形。
せっかく来たのだから色々と映像は見ましたが、映像をしっかりと観ようとすると人が多いので時間がかかるのが玉に瑕(たまにきず)。
子供達が印象に残っているのは蝋人形!
「この人、ご飯食べてるよ!」と嬉しそうに話す息子。
米と汁とお漬物が好物の我が子達にはご馳走に見えるのでしょうか?(笑)
他にも囚人がお風呂に入っている様子を見ると
「固まったお水に入ってるよ!この人たち。」
と、言っていました(´∀`)
網走監獄はじっくり見学したので16:30過ぎ位まで滞在していました。
この後更に北上し、稚内を目指します!
途中、サロマ湖があったので休憩。
丁度、日没時間近くてテレビの取材の人もいらっしゃいました。
平成最後のこの日、立ち寄った道の駅で思わす記念撮影。
この後、紋別まで走ることが出来ましたが、運転手の夫が疲れたため、平成最後の夜は紋別の道の駅で寝ることになりました。
まだ元気だった私は道の駅でポケモンGOの交換作業。
この日初めて1000km超えの交換をしました
網走監獄へ行って以来、ずっと心につっかえる思いが私の中にありました。
網走監獄の中で見た映像の中で「今の北海道の繁栄は網走監獄の囚人が道路を開拓したおかげである」というような表現をしていたこと。
開拓作業をするにあたり、囚人と看守が200人以上も亡くなっているという事実から、開削工事は半端じゃなく厳しいものであったということは理解できます。
逃亡を防ぐために「二人ずつ鉄の鎖で繋がれた状態」での労働だったという点に於いては考えさせられますが、囚人は裁判を受けて有罪となった罪人。
その囚人たちの当時の食事と、近年網走刑務所で出された12月31日(大晦日)の食事が並べてあったことに関して不快でした。
現在の日本人の一般的な食事と当時の日本人の一般的な食事はかなりの違いがあるはずです。
当時の食事(麦ごはん、味噌汁、数切れの沢庵)と近年に出された大晦日の食事と比べることに何の意味があるのか?
当時の一般的な食事と比べるべきではないのか?
大晦日の食事は一般的な家庭でも普段よりも豪勢なものです。
近年に実際に出された網走刑務所の夕食を再現し展示するのであれば、大晦日や正月の食事ではなく、ごく普通の日の食事と比べたら良いのでは?
子供達が興味を持っていたお風呂に関しても感じました。
現在は毎日のように風呂に入ることが当たり前の日本ですが、当時は風呂が自分の家にない家も多くあったはずです。
当時の日本人も毎日風呂に入ることは困難だったのではないだろうか?
当時の日本人の生活を知らない私は、当時の一般市民の生活と比べた方が博物館としてより素晴らしいものになったのではないだろうか?という思いに駆られていました...