自分の人生を受け入れてーサキの日記

最後の体外受精

2017/09/06
 
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最後なので、 旦那も一緒に病院へ行きました。

しかし、卵は、返せれる子は一人も居なかった・・・。
これがうまくいかなかったら離婚だ。という事実がストレスになっていたのか?

旦那とは不仲だったから離婚も別に問題があるということではなかったけれど、落ち着かなかったのは事実です。

仲の良い友人にも離婚を勧められていたし、離婚が怖かったということではないような気がします。

ただ、これが成功しなかったら「もう、私には子供を育てることはない」という強迫観念のような思いがあったことは間違いありません。

話は脱線しますが、私の両親は私が中学3年の時に離婚しています。

家族で旅行へ行った記憶など、私にはありません。家族揃って外食をした記憶もありません。

そんな私は結婚したら、子供も連れて色んな所へ旅行も行きたいし、皆で外食も楽しみたい。

それが私の夢でした。その夢を叶えるには旦那だけではダメでした。

旦那との仲はヒビが入った程度ではなく、大きく欠けてしまっていました。

そんな夢もあったし、私は子供が好きだし、子供が欲しかったんです。

 

先生には「離婚するから不妊治療を辞めます」なんて正直に話す必要は無いので、「暫く不妊治療をお休みしようと思っています」と伝えました。

先生は「今回はダメだったけれど、治療してきたことは決して悪いことばかりでもないよ。不妊治療って大変だから、お休みすることも良いことだと思います。意外にお休みしていたら子供出来ました~(^^)って来る患者さんもいらっしゃるしね。」と温かい言葉をかけてくださいました。

 

病院で会計待ちしていた時も、帰りの道中も涙が止まりませんでした。

旦那は帰りの道中で「喫茶店で一度話そうか」と言い出す始末。そりゃ、早く離婚したいよね。と思ったりしましたが、でも、それどころじゃなく、子供を持つことが出来なかったという辛さで涙が止まりません。

結局喫茶店の中に入っても涙は止まることなく、旦那も特に何も話しませんでした。

 

こんな感じで私の不妊治療は終わりました。

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